ジグソーパズル地理の教材として生まれ、大恐慌のアメリカで週1,000万個売れた「切断された地図」

ジグソーパズルは、1枚の絵をばらばらのピースに切り分け、組み直す遊び。始まりは玩具ではなく地理の教材で、1760年代のロンドンで地図職人ジョン・スピルズベリーが、板に貼った地図を国境線に沿って切り分けて売り出した。名前も「切断された地図(dissected map)」。サムネイルは大英図書館が所蔵する1766年の現物「Europe divided into its kingdoms」で、これが世界最初の専用ジグソーパズルと考えられている。教室から居間へ、木から厚紙へ姿を変えながら、260年間ずっと「ばらして、戻す」だけの遊びを続けている。
写真: The British Library, CC0, via Wikimedia Commons(ジョン・スピルズベリー「Europe divided into its kingdoms」1766年)
基本スペック
特徴
- 最初のピースの形は「国の形」だった。国境線で切り分けた地図を組み直すことが、そのまま地理の勉強になる設計
- 木製・手切りの時代は高価な教材・大人の贅沢品。19世紀末に型抜き機械と厚紙が使われるようになり、量産玩具になった
- 「ジグソー」の名は道具の名前。木のパズルを切り出すのに使われた糸鋸(jigsaw)から、20世紀に入って定着した後付けの呼び名
- 不況に強い娯楽として知られる。大恐慌期の米国、コロナ禍の巣ごもりと、外に出られない時代のたびに売上の山が来る
誕生と歴史
10月
初頭
教材として生まれ、恐慌で国民娯楽になり、名画の来日で日本に定着した。同じ「ばらして戻す」遊びのまま、売れる理由だけが時代ごとに入れ替わっている。
大英図書館所蔵の「Europe divided into its kingdoms」(1766年)は、目的を持って作られた世界最初のジグソーパズルと考えられている。ヨーロッパ地図を板に貼り、国境線に沿って手で切り分けた50ピース。組めばヨーロッパが戻る。現存品はスコットランド、イギリス海峡、オランダ、コルシカ&サルデーニャの5ピースを欠いたままで収蔵されている。スピルズベリーは地図・海図の彫版職人で、この教材を「王国別」「州別」など複数の地図で商品化した。ほぼ同時期の1766年製がヨーク城博物館にも残り、こちらはマホガニーの箱入り45ピースで、シチリアが1枚だけ欠けている。
写真: York Museums Trust, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
教育の道具として生まれ、そのまま玩具の定番になった——同じ経路をたどった玩具に、幼稚園の教材から広がった恩物がある。
恩物(フレーベルの積み木)世界初の幼稚園とセットで設計された、積み木の始祖ページを見る ▸
「スピルズベリーが最初」という定説には、近年の研究で対抗馬が現れている。希少本研究者ジル・シェフリンが掘り起こしたのは、当時ロンドンで女子教育にあたっていたフランス人教育者ボーモン夫人の「木の地図」への言及。1759年の手紙に「ボーモン夫人の木の地図一式をどうにか手に入れたい」とあり、1762年の別の手紙にも、息子が「ボーモンの木の地図で地理を学んでいる」と出てくる。スピルズベリーが「木の地図切断師」を名乗る広告は1763年。手紙のほうが先になる。このボーモン夫人は、童話「美女と野獣」を現在伝わる形に書き残したジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモンその人。ただし夫人の木の地図は現物が1点も見つかっておらず、現存する最古のジグソーパズルは依然としてスピルズベリーの札になる。
1930年代初頭の米国で、ジグソーパズルは映画より安い娯楽として爆発した。1932年10月創刊の「Jig of the Week」は25セントの厚紙パズルを毎週水曜に新聞スタンドへ届け、同種の週刊シリーズが「Picture Puzzle Weekly」「Movie Cut-Ups」など何十誌も乱立。ピークの1933年初頭には売上が週1,000万個に達したとされる。買えない層に向けては、ドラッグストアや貸本屋が1日3〜10セントでパズルを貸し出し、企業は歯磨き粉や懐中電灯の販促に広告入りパズルを配った。一晩で組み上げては返し、また借りる——失業者の多い時代の、時間だけはある人々の娯楽だった。
週25セントのパズルが1,000万個売れていた同じ時代に、対極の商売も生まれている。1932年、大恐慌で職を失った2人の青年フランク・ウェアとジョン・ヘンリークスが、自宅の食卓でパズル工房「パー・パズルズ(Par Puzzles)」を始めた。ホンジュラスマホガニーの3層合板を1点ずつ手切りし、絵柄は田園風景でなくピカソ、ダリ、ゴッホ。注文主が庭好きなら熊手、ワイン好きならボトルの形のピースを紛れ込ませる特注仕様で、1940年代には1点1,500ドル(当時)に達した。顧客にはロックフェラー家などの富豪やハリウッドの俳優が並び、新聞王ハーストの邸宅ハースト・カースルでは週末の客のためにパーのパズルが広げられていたという。恐慌が最安の娯楽と最高級の工芸を同時に生んだことになる。同社は現存し、いまも手切りの木製パズルを作り続けている。
日本での定着は1974年、絵画史上最大級の来日イベントとセットで起きた。前年の1973年、玩具問屋のやのまんが海外映画の中でパズルを組む場面を見てジグソーパズルの輸入を開始。翌1974年に東京国立博物館で「モナ・リザ」が日本初公開されると、輸入750ピースのモナリザパズルが便乗ヒットし、これが日本のジグソーパズルブームの起点になった。やのまんはその後国産化に進み、現在まで続く国内専業メーカーの草分けになる。
いまも買える
現在の主力は厚紙の1000ピース。50年前に日本のブームを作ったモナリザも、その仕掛け元やのまんの国産パズルも、どちらも現行品が手に入る。
スポンサーリンク
メモ
- 現存する最古級の2点(大英図書館・ヨーク城博物館、ともに1766年)は、どちらもピースが欠けたまま収蔵されている。260年間で失われたのはスコットランドとシチリアなど計6枚。
- 木製時代のパズルには完成図が付いておらず、何の絵かわからないまま組むのが普通だった。箱絵付きは厚紙量産期以降の習慣。
- スペインでは世界ジグソーパズル選手権が開かれ、国別代表がスピードを競う。
- 全面まっ白の「純白地獄」(ビバリー)など、絵柄を捨てた高難度パズルは日本メーカーの名物ジャンル。
- 「1000ピース」表記でも実数は正確に1000でないことがある。縦横の割り付けの都合で1008や1026ピースになる製品が知られる。
- ピース数のギネス世界記録は551,232ピース。2011年にベトナム・ホーチミン市の学生たちが組み上げた。
- 国内大手メーカーには紛失ピースの補充サービスがあり、該当ピースだけを取り寄せられる製品がある。
購入先
1000ピースの定番品は2千〜4千円台。モナリザの1000ピースは4,290円(2026年7月時点)。切断された地図から260年、いまは糊とフレームで壁に飾るところまでが遊びに含まれる。
関連



















