鯛車(たいぐるま)一度完全に消えて、大学生の卒業制作から復活した、新潟・巻のお盆の提灯車

鯛車は、新潟県新潟市西蒲区巻(旧・巻町)に伝わる張子の郷土玩具。竹ひごの骨組みに和紙を貼り、蝋で鱗を描いて赤く彩色した鯛の腹にろうそくを灯し、木の車輪を付けた台に載せてお盆の夕暮れに子どもが引き回した、提灯車。昭和初期の全盛期には子どもの数だけ作られたが、昭和30年代を境に廃れ、1970年代前半に最後の職人が亡くなって系譜が**いったん完全に絶えた**。地元の60代でさえ実物を見たことがない空白期に入った後、復活の起点は2004年、新潟大学生の**卒業制作**だった。以後20年、アメリカ・ガルベストンへ毎年里帰りし、街の商店街の名前にもなった。サムネイルは山形県上山市・蟹仙洞美術館所蔵の鯛車2台。
写真: Hasegawa.mayu, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons(蟹仙洞美術館蔵)
基本スペック
特徴
- 鯛の姿の張子(竹ひご+和紙+蝋描き+赤彩色)を、水色の波柄を描いた木製台と2つの車輪に載せる
- 腹に穴を開けてろうそくを立て、内側から灯すと鱗の陰影が浮かぶ提灯として機能する
- お盆(旧暦7月13〜15日または新暦8月13〜15日)の夕暮れに、子どもが下駄で砂利道を歩き、鯛車を引いて町内を練り歩いた
- 作り手が完全に絶えた玩具が、大学生の卒業制作から地区の統一シンボルへ再生した、日本でも珍しい復活郷土玩具
誕生と歴史
前半
江戸末期の花屋の副業から始まり、昭和初期の全盛期、昭和30年代の消滅、1970年代前半の完全途絶、2004年の卒業制作からの復活、2011年のティファニー財団賞――消えて蘇った玩具の20年史。以下、書き換えの節目5つ。
昭和初期の全盛期、鯛車は決して誰もが引けるものではなかった。竹ひごの骨組みに和紙を貼り、蝋と赤で丁寧に彩色し、車輪と蝋燭台まで組む一台は手間もお金もかかる。地元の伝承では「鯛車はお金持ちの子供しか引けなかった」とされ、そうでない家の子は**スイカ型の張り子**を引いて練り歩いたという。晩夏の提灯行列は、実は家計の格差がそのまま並んだ行列でもあった。「鯛」と「スイカ」の格差の記憶は、いま復活プロジェクトの語り部が体験教室で伝える定番エピソードにもなっている。
昭和30年代を境に風習が廃れ、1970年代前半頃には最後の鯛車職人も亡くなり、系譜そのものが途切れた。復活プロジェクトが立ち上がる2004年の時点では、地元の60代でさえ実物を見た記憶がないほどの空白ができていた。「廃れた」ではなく「いったん完全に絶えた」玩具である点は、他の郷土玩具の衰退と一線を画す。作り手も型紙も口伝も断絶した状態から、資料写真と古老の聞き取りだけで復元されているという意味で、鯛車は「継承」ではなく「再生」で残っている珍しい例。
現在の鯛車ブームの直接の起点は、2004年に新潟大学生の野口基幸が卒業制作として鯛車10台を作ったことにある。子ども時代に断片的な記憶があった野口が、資料と古老の聞き取りをもとに再現し、共同発起人の土田真清と「鯛車復活プロジェクト」を立ち上げた。地域文化の復活が一人の学生の卒制から始まる例は珍しく、しかも運動は続き、2011年にはニューヨークのティファニー財団から伝統文化振興賞を受賞するまでに育っている。全国93団体の応募から選ばれた「地方の郷土玩具復活運動」として、鯛車は同種のケースの手本になる。
新潟市の姉妹都市はテキサス州ガルベストン。提携50周年の記念事業として2014年頃からガルベストンで鯛車ワークショップが始まり、以来毎年、日本のお盆の迎え火・送り火の話とセットで現地に持ち込まれている。2017年にはガルベストンの美術館で1か月間のインスタレーションも実現した。新潟の一地区の郷土玩具が、海の向こうの港町の夏の風景に組み込まれつつある。「亡き人の霊を提灯車に乗せて見送る」という日本のお盆の物語が、地理的にも文化的にも遠いテキサスの子どもたちに伝わっている、という座組は、他の郷土玩具の海外展開とは少し違う手触りを持つ。
2010年、巻地区にあった11の商店街が統合され「巻鯛車商店街」に改称された。街灯やベンチ、店先のオブジェにも鯛車が採用され、鯛車は個人が作る一台の玩具から、地区全体を束ねる公式シンボルへ格上げされた。2009年開店の「鯛車焼一成」のような派生グルメも生まれ、玩具の名前が街の名前と食べ物の名前を同時に背負っている郷土玩具は全国でも珍しい。かつては「60代でも見たことがない」ほど途絶えていた玩具が、いまや観光ガイドの表紙を飾り、商店街のロゴにまでなっている。
写真: 新潟市(新潟市オープンデータ machinami002), CC BY 2.1 JP, via Wikimedia Commons
入手について
鯛車は現在、通販や小売店ではほぼ入手できない。手に入れる主な方法は次の3つ。
- 鯛車復活プロジェクトの制作教室で自作する(新潟・巻の「鯛の蔵」で年2回開催、東京・長野・米ガルベストンなどへの出張ワークショップも継続。「竹ひごで骨組み→和紙貼り→蝋で鱗描き→赤彩色→木輪・蝋燭台取り付け」で数日がかりの工程)
- 「鯛の蔵」(新潟市西蒲区巻・公民館前の常設工房兼ギャラリー、毎週日曜開館)で完成品を見学・購入相談する
- 巻鯛車商店街の各店で不定期に販売される個体を探す(数は極めて少ない)
メモ
- 鯛車の腹に灯すろうそくが赤い和紙越しに透けると、鱗の陰影がゆらいで見える。お盆の夕暮れに数十台が連なる情景は、地元では「光の行列」と呼ばれてきた。
- 2004年の卒業制作の10台は、野口基幸が古老への聞き取りと数少ない資料写真を突き合わせて復元したもの。作り手が完全に絶えた状態からの再現で、細部の意匠は復活プロジェクト以降のもの。
- ティファニー財団賞・伝統文化振興賞(2011年受賞)は、日本の地方文化の保護・継承・現代化に取り組む団体を対象とする賞。同賞受賞後、鯛車は東京・長野・海外への出張ワークショップが拡大した。
- 「巻鯛車商店街」への統合改称(2010年)は、玩具そのものの復活と商店街の再生を重ねた地域ブランディングの成功例として、全国の中心市街地活性化事業の視察対象になっている。
- 金持ちの子は鯛車、そうでない家の子はスイカ型の張り子――という格差の話は、体験教室の場で必ずと言っていいほど語られる。復活後の鯛車は「誰でも作れる」設計に調整されている面もある。
- ガルベストンの美術館展示(2017年)では、日本のお盆の「迎え火・送り火」の解説と一緒に鯛車が並べられた。現地の子どもたちには「亡くなった人を提灯車で見送る」という発想自体が新鮮に受け止められたと伝えられる。
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