三春駒(みはるごま)日本初の干支年賀切手モデル、たてがみは今もシュロ、名前は本物の馬から借りた木彫り
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三春駒は、福島県郡山市西田町高柴の集落「高柴デコ屋敷」で作られる木彫りの馬。朴(ホオ)の木を鑿と鉋で削り出し、シュロ(棕櫚)の樹皮繊維をたてがみと尾に植え、朱・青・黄で彩色する。青森の八幡馬・宮城の木下駒とあわせて「日本三駒」と呼ばれる。昭和29年(1954年)に9代目橋本彦治作の三春駒が日本初の干支年賀切手のモデルに選ばれ、平成10年(1998年)には息子の10代目橋本高宜作の腰高とらも寅年年賀切手に採用された、親子2代の切手モデル。サムネイルは彦治民芸の黒駒(5寸・7寸)。「三春駒」の名は元々、江戸期に三春藩が改良した本物の名馬を指す言葉で、玩具の木馬はもともと「高柴木馬」「子育木馬」と呼ばれていた。
写真: 彦治民芸「三春駒5寸・7寸」(うつくしま良品本舗・楽天)
基本スペック
特徴
- 四角い胴と反り返る首の独特シルエット。朴の木を鑿と鉋で削り出す木彫り
- たてがみと尾はシュロ(棕櫚)の樹皮繊維。合成毛が主流の現代にあって、植物の毛を今も使い続ける
- 黒駒(子宝・安産・子育て)と白駒(老後安泰・長寿)の対で「一生のお守り」を構成する
- 1954年に日本初の干支年賀切手のモデルに、1998年に息子の作品も切手モデルに。親子2代の切手入りは全国区の記録
誕生と歴史
(793年)頃
(1688-1704)頃
1月20日
平安期の伝説から昭和の切手モデル、そして今の担い手1軒まで――「日本三駒」の1つに数えられながら、名前の由来にも産地の名前にもねじれのある玩具。以下、書き換えの節目5つ。
実は玩具の呼び名は元々「高柴木馬」または「子育木馬」で、「三春駒」ではなかった。江戸期の三春藩は野生馬を改良した名馬の産地で、その改良された実馬こそが本来の「三春駒」だった。明治以降に馬産業が衰退した後、高柴の木馬が「三春駒」の名を借りて広まったのは昭和に入ってから、と伝わる。地名と名前のねじれが古くからあったわけではない、という点は意外。今の玩具名は、消えた本物の名馬の記憶を代わりに背負っている、と言える。
「三春駒」と聞くと三春町の玩具に思えるが、発祥地の高柴集落は現在の行政区では郡山市西田町高柴にある。旧三春藩領ではあったが、市町村合併で三春町とは別の行政区になった経緯を持つ。「デコ」は木製人形「木偶(でく)」の訛りで、人形を作る家々が集まる里を意味する。江戸元禄年間頃から約300年続く工人集落で、橋本姓の4軒(彦治民芸・本家大黒屋・橋本広司民芸・本家恵比寿屋)が向かい合わせに軒を連ねる。木彫りの三春駒だけでなく、三春張子・張子面・張り子の虎までがこの一里で作られてきた。
昭和29年(1954年)の午年年賀切手は、干支をモチーフにした年賀切手としては日本で最初のもの。そのモデルに選ばれたのが9代目橋本彦治作の三春駒だった。北陸の獅子頭と最終候補で競い合った末に決まった選定で、初版は363万1000枚が発行された。さらに平成10年(1998年)の寅年年賀切手には息子の10代目橋本高宜が作った「腰高とら」が採用され、親子2代で年賀切手のモデルを務めるという珍しい記録が生まれる。郷土玩具から切手モデルが出ること自体は珍しくないが、親子2代の入れ子は全国でもほぼ例がない。
三春駒のふさふさしたたてがみと尻尾は、実は馬毛ではなくヤシ科のシュロ(棕櫚)の樹皮繊維でできている。合成毛が主流の現代の玩具の中で、植物の毛をあえて使い続けている点は珍しい。本体は朴(ホオ)の木を鑿と鉋で削り出し、シュロの毛を植えて仕上げる。100年前と大きく変わらない工程を彦治民芸が今も守っている。デコ屋敷4軒中、木彫りの三春駒を最初から最後まで一貫工程で作れるのは彦治民芸のただ1軒。他3軒は張子や張子面に主軸が移っている。
三春駒には黒駒と白駒の2種類がある。黒駒は子宝・安産・子育てのお守り、白駒は老後安泰・長寿のお守りとされ、生まれてから老いるまで一生を通じて守る一対の意匠になっている。初節句などの子どもの通過儀礼で贈られる玩具でありながら、老後の縁起物まで兼ねているという設計は、単なる子ども玩具の枠を超えている。同じ工房で同じ工程で作られた2体を、人の一生の別のフェーズで受け取る、という贈り物文化がこの玩具の底に流れている。
写真: 彦治民芸「三春駒(白)5寸・7寸」(うつくしま良品本舗・楽天)
いまも買える
彦治民芸の伝統的な黒駒と白駒がどちらも現行販売中。5寸(約15センチ)で子どもの初節句や退職祝いに贈りやすい大きさ。うつくしま良品本舗の楽天店で送料込みで手に入る。
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メモ
- 日本三駒=三春駒(福島)・八幡馬(青森)・木下駒(宮城)。3つの共通点は「東北の木彫りの馬」で、造形と彩色は地域ごとに大きく異なる。
- 1954年の午年年賀切手は日本初の干支年賀切手。9代目橋本彦治作の三春駒が採用され、363万1000枚が発行された。切手業界ではコレクションアイテムとして今も取引される。
- 2011年の東日本大震災と福島第一原発事故以降、高柴デコ屋敷への修学旅行団体客がほぼゼロになり、絵付け体験の主要客層が消えた。復興の道半ばで職人の高齢化が同時進行している。
- 高柴デコ屋敷の4軒は全員が橋本姓。江戸元禄年間頃から約300年、この一里で人形作りが続いてきた「橋本一族の里」でもある。
- 本家大黒屋21代・橋本彰一は一度美術教員として家を離れた後、父の体調悪化を機に戻り2010年に襲名。現代デザイナーや建築家と組んだ張子作品でも知られる。「伝統は守るだけでなく築くもの」と発信している。
- 三春駒の黒駒・白駒の対は、子どもの初節句と親の退職祝いなど、家族の別のフェーズで受け取ることが多い。片方だけ持っている家も少なくない。
購入先
彦治民芸の黒駒・白駒とも5寸で6,400円(2026年7月時点・送料込み)。うつくしま良品本舗の楽天店で現行販売がある。
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